郡王記   編・著 かすろう

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【原点】ヨーロッパ文化の源流「エーゲ文明」

 みなさんは「エーゲ文明」って知っていますか?世界史を学んだ人ならばご存じでしょうが、世界史に触れる機会がなかった方には馴染みの無い名前かなと思いますね。かくいう私も学校で世界史を学んだわけではないので、この文明の名前を知ったのは趣味で世界史を学び始めてからです。そんなエーゲ文明ですが、ギリシア文明の前身のような文明で、ヨーロッパ文化の源流ともいえる文明なのです。

 と、いうわけで今回は私の復習を兼ねて、ヨーロッパ周辺の古代文明の起こりについてまとめをしていきたいと思います。

 

 

エーゲ文明とは?

 まず最初にエーゲ文明とは、ギリシア周辺の地中海である「エーゲ海」で起こった文明のことです。文明が成立するためには、特定の地域に人口が集中する必要があります。エーゲ海は海上交易が盛んだったことと、地形が入り組んでおり平地面積が狭かったことから、その狭い平地に人口が集中しました。そうして起こった文明というわけです。

 さらにエーゲ文明は前期と後期があり、前期はエーゲ海の「クレタ島」で栄えた「クレタ文明」と呼ばれる文明、後期はギリシア本土で栄えた「ミケーネ文明」と呼ばれる文明です。

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エーゲ海周辺 見にくくてごめんなさい

 両者ともに青銅器を使用した文明だったようですが、文明の性格は真逆でした。

 クレタ文明は明るく開放的な文明でした。クレタ島には「クノッソス」と呼ばれる巨大な宮殿の遺跡が残っています。この宮殿は、ギリシア神話の怪物「ミノタウロス」の話の舞台にもなっているようです。また、ミノタウロスの父は「ミノス」という名の王であるため、エーゲ文明のことを「ミノス文明」と呼ぶこともあるようですね。神話と実在の人物がごっちゃになるのは古代あるあるのようです。むしろ古代の人物から神話が構想されたと考えるべきなのでしょうかね?とにかく

「クレタ文明、クノッソス、ミノタウロス、ミノス、ミノス文明」

このあたりは連想して覚えておきたいですね。 しかし、開放的な文明だったことがあだとなり、外から来た同じギリシア人の一派であるアカイア人に滅ぼされてしまったようです。

 一方でミケーネ文明は好戦的な文明だったようです。中心地もクレタ島からギリシア本土の方へ移りました。移った土地の名前が「ミケーネ」という場所だったので、それがそのまま文明の名前に使われたようです。この文明の時代に「トロイの木馬」で有名な「トロイ戦争」が起こったようです。アナトリア半島(古代では「小アジア」と呼ばれることが多いです)の「トロイア」という国と、ミケーネ文明地域のギリシア人との戦争です。結果はギリシア人側の勝利で、この戦いは後の世のギリシア人「ホメロス」によって「イリアス」と「オデュッセイア」という叙事詩にまとめられました。叙事詩とは簡単に言うと、歴史的な物語性のある詩のことです。

 

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アナトリア半島とトロイ、ミケーネ位置

 その後、突如としてミケーネ文明は崩壊してしまいます。やはり大昔のことなので、正確にはわからないことも多いようなのです。私個人の意見ですが、正確な年表を覚える必要がないので古代の歴史学習はすごく楽ですね。同時に、まだわからないことも多いのですごくロマンを感じます。

 

ポリス世界へ

 ミケーネ文明が崩壊したのはおおよそ紀元前1100年頃だと考えられています。その後400年近くの空白の時期があり、次第に「アクロポリス」と呼ばれる小高い丘のふもとに「アゴラ」という広場が作られるようになります。そしてそのアゴラを活動の中心にして「ポリス」と呼ばれる古代ギリシア人の都市国家が作られます。ここで注意してほしいのが、ポリスは一つだけでなくたくさんあったことです。アクロポリスも一つだけではなかったようです。最初私は「アクロポリスは一つだけで、その周りにたくさんポリスが存在していた」と勘違いしていました。間違えないように気を付けてくださいね。

 これらの別々のポリスに住むギリシア人は、お互いに対抗意識を持ち合わせていた一方で同じ神話の神様を信仰したり、大きな外敵が攻め込んだ時には手を取り合ったりと同じギリシア人としての仲間意識も同時に持ち合わせていたようです。自分たちギリシア人を「ヘレネス」と呼ぶ一方で、ポリス世界の外からくる他民族を「バルバロイ」と呼び区別していたようです。古代オリンピックもこの時代にポリス間で行われていたようです。余談ですが「古代オリンピック」といらすとやで検索をかけてみたら画像が一件も出てきませんでした。(20年3月22日現在)いらすとやもまだまだですね。

ヨーロッパ各地へ広がる

 ポリス社会が栄えて人口が増加していくると、次に土地の不足で困ります。先述のとおり、エーゲ海周辺は入り組んだ土地が多く平地が少なかったのです。そこで古代ギリシア人は、各地へ植民地を広げます。こうしてヨーロッパ各地に古代ギリシアの文化が広がっていきます。今のイタリアに「ネアポリス」、フランスに「マッサリア」という植民地を築きます。そしてその名前が

「ネアポリス」 → 「ナポリ」

「マッサリア」 → 「マルセイユ」

と、現在に引き継がれているようです。「ヨーロッパ」という名前も、ギリシア神話の「エウロペ」という名前の女神が由来と言われています。古代ギリシアがヨーロッパに深く関わっていたことがうかがえますね。

まとめ

 他の文明は、砂漠地帯の人々が水を求めて川の周辺に集まって起こったものがほとんどです。そのことを考えると、エーゲ文明の成り立ちは少し特別ですね。この後、新たな政治体制ができたり、他文明との大きな争いが起こります。それらの出来事は、また次の機会にまとめていきたいと思います。内容について、間違いや意見があればコメントしていただけると嬉しいです。

 

次回はポリス社会が衰退するまでをまとめていきたいと思います

↓ 次回 (2020年3月29日更新) 

kooriyama.hatenablog.com

 

 そういえば、古代オリンピックの画像は出てきませんでしたが、古代ギリシア人の画像は出てきました。いらすとやもなかなかやりますね。

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比較的オーソドックスな古代ギリシアの男性