郡王記   編・著 かすろう

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ツタンカーメンが有名なのは無能だったからではないか?

 ツタンカーメンファンのみなさんに怒られそうなタイトルを付けてしまいましたが、実は王として優秀じゃなかったからこそ後世の我々みんなが知る王様になったのです。ということで、記念すべき最初の記事はツタンカーメン王についてまとめていきたいと思います。

 

ツタンカーメン基礎知識

 「エジプト」と聞くと、多くの人が「ピラミッド」や「スフィンクス」を思い浮かべ、さらに「ツタンカーメン」を思い浮かべる人も多くいるのではないでしょうか。ツタンカーメンは「ファラオ」と呼ばれる古代エジプトの王の一人です。少年ジャンプの漫画、「遊☆戯☆王」を知っている方ならば多少はなじみがあるかもしれませんね。この「ファラオ」というのは本来、王が住む宮殿を表す言葉だったようです。それがいつしか王自体を表す言葉になったようですね。

 そんなツタンカーメン王ですが、彼は若くして王位を継ぎ、そして若くして亡くなったファラオなのです。さすがに3000年近く前の人物なので、正確な享年はわからないようですが、推定死亡年齢は20歳前後のようです。1922年に発掘されたツタンカーメンの墓から同時に見つかった彼のミイラから推測されたようです。さらに、この墓は目立った盗掘の被害もなく、ほぼ完全なかたちで発掘されたことでも当時話題になったようです。余談ですが、この発掘の関係者が次々亡くなったことから「ファラオの呪い」が騒がれ、現在でもたびたびテレビで取り上げられたりします。そんなわけないのにね。

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ツタンカーメンの代名詞ともいえる黄金のマスク

  しかし、ツタンカーメンの墓が被害に遭っていない理由は、彼が無能だったからではないかと私は考えております。言い換えるのなら、無能ゆえに現在の私たちが知るところになったのではないか、と。そしてそれを語る上で必要不可欠なので、彼の父君のお話と、このころのエジプトの置かれていた状況についてのお話をしていきましょう。

 

ツタンカーメンが生きた時代

 ツタンカーメンが国を治めた時代は「エジプト新王国時代」といい、それまでの古代エジプトとは違い、他民族や外国との戦争や衝突が多々起こった時代でした。国内の治世がうまくいくと、次は国外に勢力を伸ばそうとするのはいつの時代も同じなようですね。そしてエジプト軍の勝率はなかなか良かったようで、国外も支配するようになります。ここからが重要なのですが、古代エジプトは神様を祀ることで国をまとめる「神権政治」という体制でした。そのため戦争に勝利をした際には、民衆の間では「神様のおかげ」という認識が大きかったようなのです。民衆の中で神様の存在が大きくなると、そんな偉大な神様の声が聴ける「神官」という役職の人々が力を持ち始めます。神官のイメージの画像が欲しくて「いらすとや」で「神官」と検索をかけてみたのですが、一つも画像がヒットしませんでした。いらすとやもまだまだですね。

 神官が力を持つと困るのはファラオです。神官が政治に口を出すようになってきます。「〇〇神様はこうすべきだと言っていますが?」「△△神様はそんなことするなと言っていますよ?」と、きっとこんな感じでしょう。うざかったでしょうね。しかし前述のとおりエジプトは「神権政治」という体制をとっているため、神官の言葉をないがしろにするわけにはいきません。偉大な神様を無視することになってしまいますからね。そんな状況を打開しファラオに権力を集中させようと立ち上がったのが、ツタンカーメンのお父様、「アメンホテプ4世」です。

 

お父さんは有能だった

 ツタンカーメンの父アメンホテプ4世は、神官を弱体化させ、王に権力を集中させるために大胆にも宗教の改革を行いました。それまでの古代エジプトは、多くの神様を信仰する「多神教」でした。オシリスやアヌビスなどのエジプトの神様の名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?アメンホテプ4世はそれらの神の信仰を撤廃し、「アテン神」という神様だけを信仰する「一神教」に改革しました。また、その当時の首都テーベは「アメン神」という神様(アメンホテプという名前は「アメン神はご満足なさる」という意味)が守護神として祀られていたので、首都も変えてしまいます。変えた首都が現在のアマルナという場所なので、アメンホテプのこの改革は「アマルナ改革」と呼ばれます。注意なのですが、「アメン神」と「アテン神」名前が非常に似ています。また、アテン神は表記によっては「アトン神」と表記されることもあります。紛らわしいので注意してください。

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アマルナは古代エジプトでは「アケトアテン」という名前だったようです。

 さらに「アメンホテプ」という名前もアメン神の名前を含んでいます。なのでアメンホテプ4世は自身の名前を、アテン神に仕える者という意味の「アクエンアテン」(「イクナートン」とも呼ばれます)に改名しました。(当ブログでは、この後も「アメンホテプ4世」の方の名前で記述させていただきます。)これによって、ファラオだけが唯一神であるアテン神の声を聴くことになるため、神官が力を持つことも防ぐことができるようになります。この改革後の宗教を世界最初の一神教とする考えもあるようです。3000年も昔の人物ながら、とても革新的な人物だったことがうかがえますね。

 ちなみにアテン神は非常にシンプルなデザインをしています。古代エジプトの神様には不思議なカタチの神様がけっこういたりするのですが、その中でもアテン神は異色な感じがしますね。

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  👆私がペイントで書いたのですが、こんな感じです。いや、マジで。太陽がモチーフの神様のようですね。足(?)は14本のようです。月の満ち欠けの周期に関係しているのかな?なんて考えてみたりすると面白いです。

父の苦労は一体...

 

 しかし残念ながらアメンホテプ4世の新しい宗教はあまり民に根付かなかったようです。のちのキリスト教でも「宗教改革」を巡り大規模ないざこざがあることから、人々が信仰する宗教を変えることは簡単ではないのだと感じさせられますね。その後、アメンホテプ4世が亡くなり、詳細が分かっていないスメンクカーラーという王を挟んで「ツタンカーメン王」が即位します。実は広く知られているツタンカーメンという名前は改名した後の名前で、改名前は「トゥトアンクアテン」(アテン神の生きた似姿という意味)という名前でした。父の信仰していた神「アテン神」の名前が使われていますね。ですが即位後、神官たちの圧力に屈してしまったため、宗教を元に戻してしまい、首都も元のテーベに戻してしまいます。名前も「アテン神」の代わりにテーベの守護神「アメン神」の名前を使って「トゥトアンクアメン」(アメン神の生きた似姿という意味)と改名してしまいます。この「トゥトアンクアメン」という名前の発音が変わって

「トゥトアンクアメン」

     ↓

「トゥタンカメン」

     ↓

「ツタンカーメン」

 

と変化したようですね。

 

権力が弱かったために...

 若くして即位したツタンカーメンは、若いうちに亡くなってしまいました。神官に屈してしまい、さらに若いうちに亡くなってしまったことから、王としてあまり権力をもっていなかったようです。その為お墓があまり立派なものではなかったようです。権力を示すことにおいては墓が小さいのはデメリットです。しかし、メリットもありました。それは「盗掘の被害に遭いにくい」ということです。というのも、古代エジプトのファラオの墓はほとんど盗掘の被害に遭ったもので、完全な形で発掘されるのはとても珍しいことでした。権力が強いファラオほど墓は大きく、一緒に埋葬される宝も高価なものになっていくでしょう。しかし逆に、権力の無かったファラオの墓は小さく、宝もあまり贅沢なものではなかったでしょう。もし泥棒が墓荒らしをするなら、どちらを狙うかは明白です。そしてほとんど盗掘の被害に遭わず(少しは遭ったようですが)ほぼ完全な形で発掘されたために世界中で話題になり、墓に眠っていたツタンカーメンも一躍有名になったということです。ですが、もしかしたら盗掘の被害から守るためにあえて墓を小さくしたのかもしれません。墓は小さいものの、一緒に埋葬されたのは11キロもあるらしい純金のマスクです。さらに少々ながら宝石が盗まれた形跡もあるようなので、価値のある宝がなかったというわけでも無いようです。彼の墓が小さいのは、権力が弱かったからなのか、盗掘対策だったのか。個人的には両方正しいと思うのですが、真相はどうなのでしょう。まぁ、それでも彼が無能という主張に変わりはありませんがね。

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※11キロ

 

まとめ

ツタンカーメンは戦争の多い時代に生きていた

         ↓

戦争に勝つたび神様がもてはやされる

         ↓

神の声が聴ける神官が力を持つ

         ↓

神官を弱体化させるため

ツタンカーメンの父

アメンホテプが宗教を改革する

         ↓

即位したツタンカーメンが

神官の押しに負けて

宗教を元に戻してしまう

         ↓

特に何も成せず、若いまま

ツタンカーメン亡くなる

         ↓

権力があまりなかったため

墓がこじんまりする

         ↓

こじんまりしたおかげで

目立って荒らされず、

ほぼ完全な状態で発掘される

         ↓

ほぼ完全な発掘が世界を沸かせ

一躍有名人に

 

 まとめなのに少し長くなってしまい申し訳ありません。一文でまとめると「権力が強くなく、墓が小規模だったことから目立った盗掘の被害に遭わずに発掘され、墓の主ツタンカーメンが有名になった」これでもちょっと長いですね。ツタンカーメンが有名な背景にはこんな事情があったんだとなぁ、と思っていただければ幸いです。目を引くために少し過激なタイトルを付けてしまいました。しかしツタンカーメンが即位したのはまだ少年の時であり、早くに亡くなって何か大きなことを成すには時間がなかったこと考えると、活躍がなかったのも仕方がないのかもしれません。ですが多くの人が彼のことを知っているのも事実なので、なんというべきか、なにがどう転ぶかわからないなぁという気持ちにもなりますね。私もミイラになってみようかなぁ。あまり変なこと書くと呪われそうなのでここで終わっておきます。ここまで読んでくださってありがとうございました。間違いやご指摘がある場合は是非コメントしてほしいなと思います。