郡王記   編・著 かすろう

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【古代】ギリシア世界が衰退するまで

 みなさんは「アレクサンドロス」ってご存じですか?バンドじゃないですよ。彼は紀元前の世界でも有数のメチャすごな王様なのです。前回はエーゲ文明からギリシア世界が確立するあたりまでお話をしました。

 

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ギリシアは「ポリス」という集団をつくって生活していたのでしたね。そしてそのポリスの中でも特に大きな力を持っていた二つ、「アテネ」と「スパルタ」を中心に、アレクサンドロス大王が出てくるまでの流れを見ていきましょう。

 

 

民主政ができた「アテネ」

 まずはアテネです。現在のギリシアの首都でもあるとても歴史のある地域ですね。商工業が発展したことにより、一般市民が経済力を高めました。それにより、市民は武器を買い武装して「重装歩兵」としてアテネのために戦いに参加するようになります。そうすると「自分たちが国を守っているのだから、自分たちも国の政治にかかわりたい!」という意思が芽生え始めます。それまでは貴族が政治を独占していたのですね。ちなみに、「重装歩兵」をいらすとやで検索をかけてみたらすごいのが出てきました。いらすとや侮れませんね。

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「ファランクス」という陣形らしいですね

  その後、「ドラコン」という人物が「成文法」という識字可能な市民なら誰でも読める文字で書かれた法をつくり、貴族が法を独占するのを防ぎました。しかし彼の法律はとても厳しかったようです。「悪いことをしたら死刑」ぐらいの極端なものだったようです。こわいですね。

 次に「ソロン」という人物が納税額に応じて市民を階級分けし、段階的に参政権を与える「財産政治」を始めました。これにより参政権も、まだまだ不平等ながら市民に広がっていきました。高額納税者は偉かったんですね。また、前任のドラコンの厳しい法の緩和も行ったそうです。

 ここで、「ペイシストラトス」という人物が武力でアクロポリスを占領しアテネの実権を握ります。自らを「僭主」と名乗り「僭主政治」を行います。これは事実上の独裁政治です。しかし、独裁というと聞こえは悪いですが、一定の層からの支持は得ていたようです。また、ペイシストラトスが政治を独占したので、事実上「貴族」と「平民」の差は無くなったといえますね。ここでまた、いらすとやで「僭主」と検索してみたのですが、一件も画像が出てきませんでした。(2020年3月24日現在)いらすとやもまだまだですね。

 しかし、その後悪い独裁を行う僭主が続いたようです。そこで「クレイステネス」という人物が「陶片追放」という制度を開始します。これは僭主になりそうな人物の名前を陶片に書き、それを投票して票の多い人物をアテネから追放するという制度です。また彼は、民衆を血筋などではなく居住区によって区分しました。これによって貴族の家系であるメリットが薄れていきました。

 最後に「ペリクレス」というアテネの将軍が、成人男子全員に参政権を与え、アテネの民主政は完成します。この「ペリクレス」の時代がアテネの黄金時代と呼ばれます。転じて、何かにおける黄金時代のことを「ペリクレス時代」と表現することもあるようです。

 

メチャ厳しかった「スパルタ」

 アテネともう一つ、とても強い力を持っていたポリスが「スパルタ」です。今でも厳しい教育のことを「スパルタ教育」なんていいますよね。その語源になったポリスです。アテネとスパルタの位置は下図のとおりですね。相変わらず雑で申し訳ない。

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おおよその場所です。

 

 スパルタでは「リュクルゴスの制」という厳しい制度がとられていました。(「リュクルゴス」はスパルタの王様の名前です。)軍事力を極めて強くなっていったような国ですね。

 そんなゴリゴリの武闘派国家だったのでドゥンドゥン他地域を侵略していきます。そうしているうちに、侵略した地域から獲得した奴隷の人数が凄いことになってしまいます。農業に従事していた奴隷を「ヘイロータイ」、商工業に従事していた異民族を「ペリオイコイ」といいますが、これらを合わせた人数がなんとペルシアの男性市民の10倍以上もいたとされているようなのです。自分たちの10倍以上の人間が一斉に反乱なんて起こしたらたまったものではありませんよね。なのでペルシアの男性市民は日ごろからとても鍛えていたというわけなんですね。

余談ですが、この「ヘイロータイ」と「ペリオイコイ」個人的にすごい覚えにくかったです。なので無理やり「兵老体」と漢字をあてて覚えたり、ちょうど「あつまれ!どうぶつの森」が発売されたぐらいの時期だったので、「ぺりお憩い」と覚えたりました。ぺりお。わかる人にだけ伝わってくれればいいな。

 

古代有数の大戦争「ペルシア戦争」

  ここで、全オリエントを統一したアケメネス朝の「ペルシア帝国」が登場します。「オリエント」とはある地域から見て太陽の昇る方向のことを指しますが、古代においては主に、古代ローマからみて東の方角の地域のことを指します。英単語にも、「東洋の」という意味の「oriental(オリエンタル)」なるものがありますよね。今の地域で言えばちょうど中東あたりに分布していた帝国です。

 そんな広範囲をも支配していたペルシア帝国ですが、ある時領域内のギリシアのポリスが反乱を起こします。これを地域の名前からとって「イオニアの反乱」と言います。さらにこの反乱をアテネが支援したことによって、ギリシア世界とペルシアとの対立が明確なものになってしまいます。大国ペルシアが攻めてくることになったので、アテネはスパルタをはじめとする他のポリスと手を組み、戦争に臨みます。ポリス同士はライバルでもあったのと同時に、同じギリシア人としての民族意識もあったのですね。このギリシア陣営とペルシア帝国との戦争を「ペルシア戦争」と言います。この戦争はなんと50年にも及ぶ長い戦いでした。戦争の内容をここにまとめると内容がとんでもないことになってしまうので、ペルシア戦争の内容についてはまた別の記事でまとめたいと思います。

勝利したものの…

  およそ50年にも及ぶ戦いの末、何とかペルシアを撃退することに成功したギリシア陣営ですが、ここでポリス同士に溝ができてしまいます。まずアテネが「またペルシアが攻めてくるかもしれないから、その時のためにポリス同士で同盟を組んでおこう!」と「デロス同盟」を組みます。これを見たスパルタが「アテネがポリスをまとめてギリシア世界を支配しようとしている」と考え、対抗して同じように他のポリスと「ペロポネソス同盟」を組みます。こうしてアテネとスパルタとの間で「ペロポネソス戦争」が起こります。さらにここに「テバイ」という都市国家が参戦して、ギリシア世界が荒廃していくことになります。

 『オリエントから攻めてきたペルシア帝国が引き起こしたペルシア戦争から数年。ギリシア世界は「デロス」、「ペロポネソス」、「テバイ」の三つに分かれ、混沌を極めていた…!』

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ペルシア戦争時代の地図

「マケドニア」の台頭とポリスの衰退

  ペロポネソス戦争はペルシア側の勝利で終わりましたが、戦争によってギリシア世界は疲弊してしまいます。そこで突如として現れたのがフィリッポス2世が治める「マケドニア」という国です。このマケドニアという国はギリシア人の国でしたが、ポリスをつ作らないなど、他のギリシア人とは違う生活スタイルをとっていたので、周りのギリシア人から格下扱いされていたようです。しかし、虎視眈々と力を付けていたマケドニアは、ペロポネソス戦争の後に「カイロネイアの戦い」でテバイとアテネを破り、「コリントス同盟」という形で傘下に収めます。ちなみにスパルタはこの同盟に加わらなかったようですね。

 そしてフィリッポス2世の子供こそがかの「アレクサンドロス大王」です。彼は「東方遠征」を行い、東へ進軍しました。ペルシアをも破り、インドの北西部あたりまで勢力を伸ばします。しかし、そこまで進軍したのを最後に、アレクサンドロス大王は32歳の若さで亡くなってしまいます。ギリシア世界からオリエント世界までに及ぶ広大な帝国を、わずか二代のうちに築き上げました。

 ちなみに、フィリッポス2世は私的「名前の『ポ』の違和感が凄い王様」第三位です。二位はベルギーの「レオポルド2世」、一位はこれから現れそうなので空けてます。

まとめ

 ポリス同士結束することで強敵ペルシアを撃退することができたギリシア世界ですが、皮肉なことに衰退の原因になったのもポリス同士の同盟でした。そして新しくマケドニアが頭角を現すことになっていったのですね。ということで今回はここまでです。何か間違いや意見がありましたらコメントをしてくださるとうれしいです。